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【宗教】 そこにある教義の矛盾 【愛情】


【2012/1/09記事】
アンワル元副首相に無罪
       マレーシア・同性愛行為裁判


朝日新聞    


 9日、イスラム教下にあるマレーシアの野党政治家
アンワル・イブラヒム元副首相が、
同性愛により罪に問われた裁判に
証拠不十分として無罪判決が降りたそうですよ。

 "証拠不十分"として無罪判決とした所が
イスラム教国らしいと思えましたが、
今回の件は中世から続いている
あらゆる宗教において疑問点の一つですね。

 実際 多くの宗教は個人より教義と規制を重んじ、
判断を属する宗教の教義に求めますよ。
 ではその判断の元になる教義に誤りはないのでしょうか?
宗教が禁忌としている"同性愛"の方向から考えて見ますね。

 多くの宗教における創造主は「生めよ増えよ」を唱え、
同性愛の行為が神の意志に反しているものとして禁忌としていましたよ。
 そして極論として神の意志に反するもの=悪として
異端・断罪されていましたね。

 しかし、その崇める"神"の持つ”愛情"とされる根本を考えてみれば、
その差別行為は矛盾点としか思えない行為であると言えるでしょうね。

 ではその矛盾をもちながらもなぜ禁忌と定めたか、
単純に言えば「判り易い・理解しやすいから」なのですよ。
 基本でいえば信仰と思考は反比例しますね。
 信仰者に考えさせず、かつ理解しやすく、
不義・裏切り・略奪・暴力・偽り行為に
繋がる行為を制限したいが為なのですよ。

 つまりは神たる存在が否定するのは"愛情"ではなく
愛情のない肉欲から行う姦淫行為であり、、
それに伴う不義・裏切り・略奪・暴力・偽り行為そのものであるはずが、
崇める為にできたはずの宗教団体が作り出した教義によって
歪んでしまっているという現実がそこにある訳ですね。

 これが多くの宗教がもつ神の意志と宗教の教義の矛盾の一つですよ。
 世界や人を学ぶ度に世界中の宗教においての矛盾が見つかるのですが、
その度に「神は其々の人の心にある」という1節を思い出しますね。
 願わくば、人々の心に棲む"モラル"が悪魔でないことを祈りますよ。
 
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テーマ : 国際ニュース
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